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近畿生コン関連協議会

独占連載「偽装労組」

連帯ユニオン関生支部の正体を暴く。

連帯ユニオン関生支部の正体を暴く。

  1. Vol.22 ヤクザと武委員長3

2020.07.31

Vol.22 ヤクザと武委員長3

引き続き今回もヤクザと武委員長との関係を検証する。

弘道会が関生事務所に押しかける

「武を出せ!」。

いまから11年前の2009年8月25、26日の両日、大阪市西区川口にある通称<生コン会館>こと、連帯ユニオン関西生コン支部(以下、関生支部)事務所に、罵声を浴びせながら7~8人の男が押しかけて来た。集団は、滋賀県大津市に本拠地を置く、山口組弘道会系淡海一家(高山義友希総長)の、西田幸一相談役ら組員だった。なぜ、滋賀を本拠地とする暴力団がわざわざ大阪市内の<生コン会館>に押しかけたのか。理由は、京都の生コン利権の争奪戦だった。京都には同地で土木建設業などを行う際、「京都の土木建設業者が京都で仕事をする際、会津小鉄会またはその関係者に地域対策費を持っていけば、工事に介入されない」という暴力団同士の暗黙の了解があった。<山口組の京都ルール>と言われるものだ。ところが、現山口組六代目組長に、名古屋市を本拠地とする弘道会総裁の篠田健市こと司忍が、2005年に就任して以降、弘道会の進出が、会津小鉄会の縄張りだった京都を支配下におさめるための、台風の眼になった。生コン利権も、弘道会の重要な資金源として、その獲得のため、地元(京都)の生コン業者に対する攻勢を強めていた。目的はさきの<山口組の京都ルール>を亡きものにすることだった。

どこの地域でもそうだが、<生コン協同組合>の会員企業は<イン>、入っていない企業は<アウト>と呼ばれていた。京都には、<イン>の業者を率いる中心人物のグループと、<アウト>の業者を束ねる<イン>の業者が存在した。<イン>の業者を率いる生コン業者は、関生支部の武委員長の盟友だった。京都の生コン利権を傘下におさめるには、関西の生コン業界のドンと呼ばれ、長年にわたって君臨してきた武委員長を屈服させ、支配下におくしかなかった。それは、名古屋の弘道会トップが山口組を継承し、六代目に就任したことで、新たな勢力圏獲得に乗り出すことは必然のことだった。先述の淡海一家は、その京都支配の先兵だったのである。先兵である淡海一家は、もう一つの<アウト>を束ねる業者も執拗に攻め立て、恐喝。<企業舎弟>にしようとした。これがのちに、六代目山口組の高山清司若頭の4000万円恐喝事件になる。結局、京都で長年にわたって勢力を誇ってきた会津小鉄会は、山口組の分裂にともない、弘道会系と神戸山口組系に分裂。分裂抗争の末、京都府公安委員会は、金子利典を会長とする七代目会津小鉄会(神戸山口組所属)を、指定暴力団として官報に公示(2019年)し今日に至っている。

関生支部が入る、大阪市西区の通称<生コン会館>。

京都の盟友は会津小鉄会と密接交際

さきに述べた、京都での<イン>の業者の事実上のトップは、図越利次・三代目会津小鉄会会長ら、幹部が勢ぞろいした関係者の結婚披露宴にも招待されるなど、太いパイプをもっていた。その会津小鉄会と関生支部の武委員長が密接交際者かどうか、<宝島訴訟(偽装労組Vol.8~11参照)>で争われた。宝島社側は、武委員長の元側近の証言として、武委員長のホールインワンを記念して開かれた関生支部主催のゴルフコンペに、高山登久太郎・四代目会津小鉄会会長が車椅子に乗った姿で顔を見せ、ハンドマイクを通じて「高山登久太郎会長が会場に来ておられます」と、参加者に紹介したこと。武委員長が<交渉>のため、高山会長に会いに行ったことなどを証拠として提出した。

皮肉なことに、冒頭の生コン会館に押しかけた<淡海一家>の高山義友希総長は、高山登久太郎・四代目会長の実子である。会津小鉄会との親密な交際や関係について、宝島社訴訟では東京地裁は、<認定>しなかったが、東京高裁は逆転判決で<認定>した。

東京の暴力団とも交際証言

元側近は東京の博徒など他の暴力団組織と、武委員長や京都の<イン>の業者との関係についても証言している。暴力団で言えば、岡山県の生コン業界で「岡山の生コン協組 ヤクザの資金源 年間26億円以上が暴力団の資金源に」と題した<怪文書>が出回ったこともある。この<怪文書>は、さきの東京の博徒(暴力団)問題と同様、真相は藪の中で今日に至っている。

武委員長・関生支部との密接交際者といえば、<刑務官汚職事件(偽装労組Vol.17参照)>で登場する山建組系樺山組の樺山勝美総長との関係だ。樺山総長は生コン会館に出入りし、息子は武委員長の運転手だ。関生支部側から、100万円、200万円と大金をうけとっていたことが、関生支部の会計担当者が付けていた<特別ノート>、言い換えれば<裏帳簿>から判明。この金銭についても、宝島社訴訟で、東京地裁は<認定>しなかったが、東京高裁は、逆転判決で<認定>。さきの会津小鉄会との関係とあわせ、関生支部を、暴力団と関係がある<反社会的集団>と認定した通りである。

関生支部の会計担当者が付けた、裏帳簿と言われる<特別ノート>のコピー。

武委員長は暴力団との関係を否定

武委員長は、宝島社訴訟の<陳述書>で、「組合と暴力団とは、まさに水と油の存在であって、これをあいまいにした癒着関係というのは、組合としての死を意味し、一切ありません」「同郷の暴力団関係者がいますが、私が組合活動のために暴力団を利用したり、暴力団に利益を供与したりしたことはありません」と述べている。さらに、暴力団に刺殺された組合員たちとの信義の問題としても、暴力団との癒着関係はないと断言している。いまから38年前の1982年4月、関生支部高田建設分会の野村雅明書記長が、会社の雇った男に殺害される事件があった。このとき組合は喪に服していたが、武委員長はゴルフに興じていたという(大阪民主新報1984年8月14日号)。武委員長の座右の銘は、「人の痛みは我が痛み」だが、唱えれば唱えるほど空虚といっていいだろう。

次回は一昨年来の、関生支部事件の今をまとめたい。

関生支部高田建設分会書記長の野村雅明氏が殺害された事件について書かれた書籍のページ(武委員長の著書『武建一労働者の未来を語る――人の痛みを己の痛みとする関生労働運動の実践』より)。

※記事をより読みやすくする目的で、偽装労組Vol.4から、強調の意味での「 」や、新たに登場する会社名については、2回目以降の(株)表記を省略しています。

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