推しプラ
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
2024.04.25
『推しプラ』は、近畿地域の<イチ推し生コンプラント(工場)>の、特色や魅力を働く人の目線で紹介する企画。Vol12は、広域協組北摂ブロックの猪名川菱光(株)だ。
同社は、大阪府豊中市の豊建商事(株)を親会社とする豊建グループの企業だ。それだけを聞くとごく普通なのだが、なんと同社を含む生コン3プラントは、社員数が実質0名。社長以下、全社員が本社からの出向だという。これまで様々なプラントを訪れたが、初めての組織形態だ。一体どういうことなのか、お話をうかがってきた。
リード文で述べたように、同社は親会社<豊建商事>のもと、守口菱光(株)、北大阪菱光コンクリート工業(株)と同社の3社が生コン製造を受け持ち、その3社の輸送を一手に担う(株)豊菱(以下、豊菱)、車両やプラントの整備や燃料関連、不動産事業などを行う(有)セイユー興産の6社が<豊建グループ>としてうまく連携し、それぞれの地域の暮らしや社会インフラを支えている。
同社は、兵庫県川辺郡猪名川町に立地。猪名川町と言えば、東は大阪府豊能郡、西は宝塚市と三田市、南は川西市に接し、北は丹波篠山市に接する自然豊かな土地。阪神間のベッドタウンのひとつだ。プラントの敷地は町域を流れる清流猪名川の支流、野尻川のすぐ脇にあり、プラントのすぐ北には新名神高速道路(以下、新名神)が走る。
同社の創業は1969年6月だ。その頃、大手ゼネコンが当地で<阪急日生ニュータウン>や<清和台>などの大規模宅地開発を始めることが判明。その際、当地に生コン工場がなかったため、すでに北大阪で生コンの製造販売事業を行なっていた豊建商事が、ゼネコン側の依頼を受けて、プラントを建設したのが同社のルーツだ。また時期を同じくして、戦後止っていた<一庫ダム>の建設が再開した時期でもあり、生コンの需要は大いに高まった。ただし、どちらのプラントも同じで、同社の繁栄がずっと続いた訳ではない。
もともと高層ビルや高層マンションなどが建設される地域ではなく、大きな物件が発生すれば出荷量が上がり、なくなれば下がるジェットコースターのような経営状態で、現在も、新名神や大規模物流センターなど、大きな物件の有無によって大きく変動するという。「数十年前には、月に1,000㎥出ない時もありました。で、輸送費が7,000円〜8,000円/㎥だから大赤字です。でも新名神がここを通ることが分かっていたので、それ待ちで頑張っていました」と、同社代表取締役の生田秀一氏が、当時のご苦労を語ってくれた。
「ウチの生コン輸送は、(株)豊菱という別会社があって、豊建グループの輸送を担っているんです。たとえば今日は、北大阪菱光と守口菱光の出荷がないので、ドライバーはこのプラントに応援に来ています。生コンを本社で一括受注して、生コン車の集中配車をしたり、人の応援体制を組んだり、そういう動きをとれるのが豊建グループの特長です」。そう語ってくれたのは同社取締役で、グループ内の輸送を担う、豊菱代表取締役でもある福留比呂志氏だ。これにより各プラントでは、受発注や配車等の手間を考えずに製造に専念できる。さらに生田氏は、「組織的には事業部制にしています。営業本部、生産本部、総務管理本部とあって、ここは生産本部の工場のひとつとして動いています」と教えてくれた。つまり各製造プラントの社員は、本社である豊建商事の生産本部に所属。したがって同社の社員数はなんと実質ゼロ。全員が豊建商事からの出向という形態になっているのだ。つまり同社代表取締役の生田氏も、豊建商事では常務取締役なのだ。そしてこのようなグループ体制をつくったのが、3年前に亡くなられた、創業者の故・福盛康友氏なのだと教えてくれた。
現在は、広域協組に加盟。新名神の工事は終わったが、東西のインフラが完成し、当地が物流拠点となったことで、同社は様々な規模の物流倉庫や、土木工事などを中心に、猪名川町を中心としたエリアの暮らしやインフラを支えている。
所在地 | 兵庫県川辺郡猪名川町広根字神子ノ辻7-1 (本社/豊建商事(株)(大阪府豊中市)) |
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設立 | 昭和44年6月 |
代表取締役 | 生田 秀一 |
社員 | 0名(豊建商事(株)の社員が15名)、 輸送((株)豊菱)/22名 |
出荷量 | 約100,000㎥/年(繁忙期) |
ミキサー | 1基(2,500L) |
生コン車台数 | 自社((株)豊菱))保有18台すべて10t車 |
●代表取締役 生田 秀一氏
●取締役 福留 比呂志氏
●技術課 中谷玖都さん
同社は、郊外のプラントによくあるように、周りを山林に囲まれている。もちろん同社も、プラントが立地する地域の町内会などには入っているが、プラント周辺での具体的な地域貢献というのはなかなか難しい。
しかし先に述べた通り、同プラントは豊建商事のグループ企業であるため、地域貢献という意味では、基本的には本社のある豊中市において行われている。一例を紹介すると次の通りだ。
コロナ禍には、2020年から複数回、市立豊中病院へマスクや消毒液、ニトリル手袋、プラスチックガウンなどを寄贈。また同社創業90周年記念事業の一環として、同年に豊中市消防局へ<応急手当普及啓発車両(ハイエース)>1台を寄贈するなど有事の際の地域貢献に注力。さらに地域の子供たちのプラント見学や、大学生のインターンシップ受け入れを行うなど、生コンワークの認知度アップにも大いに貢献している。
「もともとウチの福盛佐一郎初代会長が、豊中商工会議所の初代会頭や、安全協会の会長などの要職を務めていたこともあって、昔から地域のことは気にかけていたようです」と、福留氏。その考え方は継承され、その後に会長を務められた故・福盛康友氏も、先に述べように様々なかたちで地域貢献活動を実践。2021年に行われた福盛氏の<お別れの会>では、豊中市長の長内繁樹氏が自ら葬儀委員長を務められ、故人を偲ぶ楽曲を豊中市消防音楽隊が献奏するなど、社の内外を問わず、地域社会に対する貢献が認められている。
同社には、面白いイベントがある。コロナ禍を除き年に1回、全社員が一堂に集まって行う、<社員研修会>というイベントだ。研修という名前がついているが、まあ平たく言えば社内親睦会のようなものだ。「全社員が集まってやるんですが、そこで(故)福盛会長が豊建商事の成り立ちや歴史を話してくれるんですが、僕らはそれが楽しかったですね」と、在りし日の福盛会長を懐かしむ福留氏。こういう仕事以外の活動が、同社の社風や企業文化を育んできたのではないだろうか。
「研修の中には試験があって、ええ歳して僕らもやるんですよ(笑)。日本の三大湖は名前は?とか、関東の白地図に県名を書かせたり。福盛オーナーが自分で問題をつくられるんです。でも意外と難しい(笑)。それで、『アホやなぁ』とか言って笑いながら自分で採点するんです。で、高得点の人には商品券が贈られるんですよ」と、福留氏。試験のほかには、社員がグループになって自由なテーマで行う<発表会>もあるという。楽しそうに話してくれたお二人の表情から、亡き会長や会社に対する愛情が感じられる。このような上司いる会社が働きにくいはずがない。以前は土日を使って1泊で慰安旅行のような形で行われていたが、最近は土曜日のみでやっているという。時代や形は変わっても、同社の愛社精神は受け継がれていくことだろう。
また同社には自社内に労働組合があることもあって保険や年金、退職金共済制度など、基本的な福利厚生は整っている。2017年には中小企業退職金共済制度にも加入した。休日についても「広域協組からの出荷依頼があれば出ますが、基本的には完全週休2日制です」と、生田氏。広域協組のカレンダー通りなので今年は年間125日だ。「ウチは直販のスポットがないので土日が休める。休日の計画が立てられるので社員にも好評です」。実はこの制度には、ちょっとした工夫がある。土曜日の出荷は、隣接する(株)協栄建設生コン部に依頼(代わりに協栄建設は月曜日に代休)するよう取り決めをしておられるのだ。加えて、有給休暇も取りやすい環境づくりを目指しておられる。「まあ、ウチは最低限のことはやっていると思いますよ」。生田氏は謙遜されるが、この労働環境は誰も最低限とは思わない。働く人には、とてもうれしい労働環境だ。
そのほかにも「コロナ渦以降止めていますが、以前は各事業本部で1泊2日の慰安旅行をしていましたし、5年に1度の周年には、全社で社員や家族も一緒に海外旅行をしていました。あと年に2回ほど、3工場の人間が集まってバーベキューをしています」。生前の福盛氏のメッセージに「職場は明るくあるべきであり、日々の挨拶が疎かになっていては組織として不安を感じてしまいます」と、あるように、社内の親交を深める機会には事欠かない。
同社には、製造・販売+輸送をグループ内で行ったり、集中配車で効率を高めたり、グループ内で機器や設備、車両の修理メンテナンスを行ったりと、独自のこだわりの仕組みがたくさんある。しかし、いちばんのこだわりは、社員・人材に対する考え方ではないだろうか。
「これは僕の個人的な意見ですけど、ウチにはどこのプラントも経験していない<歴史>という宝物を持っている。そこが素晴らしいと思います」と、福留氏。同社の親会社である豊建商事の歴史は、1930年(昭和5年)の創業。この業界内でも古い方ではないだろうか。その歴史や先輩方の話に魅力を感じるからこそ、一生懸命働くし、社員同士が仲良くできるといいう。「やっぱり、愛社精神がないと、小さな不満ですぐ辞めてしまうんですよ。だから、少しでも愛社精神や仲間意識を持って待ってもらって、長く働いてもらいたい」。
そして愛社精神や仲間意識は、仕事をスムーズに運ぶだけでなく、人材確保の意味でも、大切なことだった。
つまり、人材にこだわるからこそ、先に述べた<研修会>や<発表会>、<海外旅行>などの行事や、働きやすい制度をつくって、気持ちよく働ける環境を整えている。人材は、まさに人財。このように考え、人材確保に努力してきたからこそ、同社では2年前に、18歳〜27歳まで新人が5名入社された。「やっぱり若い人が入ったら、職場が劇的に変わりますよ!」と、福留氏が笑う。そしてもうひとつ重要な条件があった。「このように人材採用ができたのも、広域協組がまとまってランクアップできたからです。やっぱり財源がないと人材も入れられない」と、生田氏。福留氏は「財源もそうですが、体制や制度づくりも大事。生産工場は下準備の時間が必要だったり、終業も現場のOKが出ないと終われないので、8時~5時では終われないこともある。だからこそ労働環境づくりも、長く働いてもらうためには大事なことです。(今はいろいろ工夫ができますけど)以前はそれを考える余裕もありませんでした」。
入社した新人に対しては、「ひとつの仕事だけじゃなくて試験、バッチャー、配車と、ひと通り覚えてもらって、その人が休んでも誰かがカバーできるようにしている。それと(利便性だけでなく)その人の仕事が分からないと、その人の気持ちが分からない。仕事が分かるとチームワークを組みやすいし、揉め事も少なくなります」と、福留氏。つまり人の痛みが分かると、ちょっと話を聞くとか手伝うとかして、作業的にも精神的にも助けることができる。生コンの仕事は1人で完結する仕事ではないので、チームワークは大事だ。人にこだわることは、仕事にこだわることなのだ。
「やっぱり人材が欲しい。ウチは平均年齢については若い方やと思います。40代前後くらいかな…。でもまだまだ若い人に入ってほしいですし、新人教育に力を入れたいですね。この業界は昔から紹介が多かった。それだとある程度、人間性とかも分かるんで残ってもらいやすいんです。あと、どこかの工場が閉鎖されたりして来た人は、即戦力になる。でも、これからのこと、新しいことを考えていくには新しい人材が必要だと思います」。生田氏は、言葉に力を込める。
同社でも、本社(豊建商事)の方で、高校などには求人票を出しており、また大学生のインターンシップも受け入れている。さらに、会社の実態や魅力を、学生をはじめ多くの人に知っていただくために、ホームページを作成・更新。その中に、若い人に特化した<リクルートムービー>や<募集概要>を掲載されるなど、前向きに情報公開を進めておられる。
「例えば高卒の場合は、一度、先生と来られて、話を聞いてくれた上で、この業界やウチの会社のことを理解して決めてこられるので、そういう機会をもっと増やしたいですね」。働く人に対して、これだけ真剣に向き合う同社のことだ。きっとこれからも素晴らしい人材と出会うことだろう。
『社会の一員になったような気持ちで、感慨深いですね』
中谷さんは、2年前に大卒で同社に入社された若手社員だ。現在は、出荷の仕事を中心に活躍しておられる。
もの静かなイメージだが、高校まで野球を、そして大学ではソフトボールをやってこられた。大学時代、最後の2年間は全国大会でベスト4まで行かれたというから、なかなかのアスリートだ。現在も日本リーグに所属するソフトボールのクラブチーム<大阪・堺グローバル>に所属し、そのチームのオーナーさんの紹介で同社に入社された。紹介でありながら新卒という珍しいパターンだ。
当然ながら生コンの仕事は初体験だったが、同社の新人研修で仕事を覚えられた。
「同期の3人が何の知識もないゼロからのスタートして、1ヶ月の研修で何とかお手伝いができるまでに育ててもらえたというところが、正直、ありがたいなぁと思います」と、中谷さん。
同プラントで働き初めてすぐに、プラント近くの大規模物流倉庫の仕事を、ほぼ初めから携わることができ、その物件が最近竣工したため、感激もひとしおという。「社会の一員になったような気持ちで、感慨深いですね」と、語ってくれた。
取材に同席された生田氏は「出荷は、全ての仕事の流れを見ないといけないし、直接お客様の対応をするので、このプラントの顔になるポジション。それを2年でやってくれているというのは、凄いことだと思います」と、絶賛する。お客様からは、ときには厳しいことも言われるが、ご本人は「まぁ、若いから言いやすいということもあるでしょうし、先輩やほかの部署の皆さんがカバーしてくださるので、何とか頑張っています」と、飄々としておられる。「販売店の方や監督さんとも、こっちが真摯な態度で接していたら、徐々に打ち解けて、仕事がしやすくなりました」と、笑う。
そんな中谷さんが考えるこの仕事の難しさは、やりとりでの判断だという。「先方は答えを急ぐので、ついOKと言いそうになるんですが、何でもOKしないように、全体を俯瞰した上で判断しなければならないということです」。なるほど、ここまで考えられるともう一人前と言っても言い過ぎではないだろう。
そして中谷さんの休日は、想像通りソフトボール三昧だ。
トップレベルリーグは年間を通じて試合や遠征、練習があるが、同社は完全週休二日制なので問題ない。また平日にも試合があるため、その時は有給休暇をとられるという。またその時に、誰かが代われるような体制を会社がつくっておられるのが凄い。プライベートをこれだけ謳歌できるのは、同社の最大の魅力。現在も、これからも、ワークライフバランス良好の、中谷さんだ。