推しプラ
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
2024.08.26
生コンワーカーの目線で、近畿地域の<イチ推し生コンプラント(工場)>をご紹介する、新企画『推しプラ』。Vol.15は、広域協組・阪南ブロックの< (株)岡本生コンクリート>(以下、同社)だ。
高度経済成長期に、都市部への人口集中を解消するため、全国的に開発が進められた<ニュータウン>。プラントの近くに住宅群が迫るという特殊な環境の中で操業された同社は、ひとつの象徴的な仕事との出会いを機に、技術力の重要性を再認識されたという。
地域貢献、働きやすさ、安全対策、設備維持管理など、すべての要素が<技術力を高める>ことにつながるという同社の考えの、真意をうかがってきた。
同社が立地する堺市は、大阪市のすぐ南側に位置し、その最北部は大和川を挟んで大阪市住之江区、住吉区に接している。
堺市と言えば行基上人、千利休、与謝野晶子、庶民的なところでは将棋の坂田三吉と、全国に知られる人物を輩出している土地。また2019年に世界遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群の遺跡があることでも知られている。そして<ものの始まりなんでも堺>と言われるように、鋳造・鍛造の技術が伝えられたことから、鉄砲や自転車などに代表される、モノつくりの街と言われるのもご存知の通りだ。つまり大昔から人が住み、貿易や商業が盛んで、新しい文化や技術の洗礼を拒まず、また自らも生み出し育む風土が培われていた地域と言えるのではないだろうか。
その地域柄を、近代の住環境において具現化したひとつの形が<泉北ニュータウン(以下、同タウン)>の開発計画だろう。高度経済成長期を背景とした、都市部への人口集中を緩和する目的で、民間企業や公的機関によって開発が行われたもので、大阪府では全国第一号である<千里ニュータウン>に次いで計画されたのが、堺市南区と和泉市の一部にまたがる同タウンだ。1965年に発表されたその規模は、千里ニュータウンの規模を凌ぐ54,000戸・計画人口18万人と、当時は西日本一の規模となった。
同社は、そんな同タウンの一角、美木多(みきた)地区において創業。もともとは<岡本建材>の社名で、土壁用<泥コン>の製造・販売を中心に様々な建材を扱ってこられたが、同タウンの開発などによる生コン需要の高まりから、1976年、本格的に生コンの製造販売業に転換された。
その後は、ニュータウンの建設ラッシュと高度経済最長の波に乗って、事業を続けて来られたが、プラント周辺に住宅が建ったことから、住民との共存に腐心。さらに他のプラントと同様、時代の変化と共に統廃合や価格競争などに巻き込まれながらも奮闘。大同団結前の広域協組に加盟され、ニュータウンの中に立地するという、生コンプラントとしては特殊な環境において、現在の盤石な経営体制を確立しておられる。
同社の出荷エリアは堺市全般だが、要請により同市のすぐ南側に位置する和泉市や岸和田市、また高速道路を使って松原市、羽曳野市などにも出荷する。現在、広域協組の物件は、看護学校等も併設する近畿大学病院の建設現場への出荷が忙しい。また広域協組に加盟している同社だが、場所柄、全体の約3割が販売店経由の地域のスポット案件だ(出荷量は広域協組と共有)。
泉北だけではなく、今ニュータウンは、少子化等の進展による人口減少などの課題もあるが、一方で当地では堺市や大阪府、鉄道会社などからなる<泉北ニューデザイン推進協議会>を立ち上げ、次につながる取り組みを進めている。
さらに同タウン内ではないが、工場長の今岡晃一氏は「すぐ南の和泉市あたりにも、ニュータウン的な宅地開発がいくつか進んでいますし、それに合わせて周辺に大規模商業施設などができたり、駅前開発の話もあるようなので、気を引き締めて頑張りたい」と、語ってくれた。近年、生コン全体の需要が減少傾向と言われるなか、同社の今後は、まだまだ拡大の可能性を秘めているようだ。
所在地 | 大阪府堺市南区美木多上1788-1 |
---|---|
操業 | 昭和51年3月1日 |
代表取締役 | 岡本 克彦 |
社員 | 17名 |
出荷量 | 約53,000㎥/年(23年実績) |
ミキサー | 1基(3,000L) |
生コン車台数 | 自社保有24台 (10t車:8台・8t車:8台・3t車:8台) |
●代表取締役社長 岡本克彦氏
●取締役専務 山田英幸氏
●工場長 今岡晃一氏
●技術課 岩間俊弥さん
同社は、住宅地に立地するということで、周辺住民の皆さんには特に気を遣われている。「どうしても音が出てしまう仕事なので、地域の皆さんのご理解がないと成り立ちません。なので気を遣いますね。例えば骨材サイロ内で、こびりついた細骨材を粉砕するエアーブラスターの『バッシュ―!』という音が気になると、原因を聞きに来られます」。確かに、同社の設備のすぐ裏には急斜面があり、その上には同タウン栂(とが)地区の一角、<御池台>の戸建住宅群が迫っている。プラントを経営するには、なかなか厳しい立地だ。
気遣いは昼間だけではない。夜間出荷はほとんどないが「1台で済む程度ならお受けしますけど、何台にもなるとご近所さんにご迷惑がかかるので、お断りすることが多いですね。それでも、どうしても出荷しなければならないときは、事前に周辺のご家庭に訪問してご説明をしています」。もちろん、できるだけ音を出さないように気をつけているが、たとえ少量出荷でも、何も言わずに音がすると驚かれるからだ。小さな音でも、言うと言わないとでは気分が変わるものだ。
音に対する気遣いは、プラントの稼働音以外にもある。近くの企業でも車両の出入りはあるが、同社の敷地の真ん中には、プラントと駐車場を二分するかたちで大阪府道215号(別所草部線)が横断。同社へ出入りする車両台数が周辺でいちばん多いため、騒音に対して細かい気遣いが大切となってくる。そこで同社では、敷地内は最徐行(5km/h以内)、そして生コン車等が敷地の近くを走る際、美木多上交差点~別所交差点の間は、たとえどんなに急いでいても、法定速度遵守で走行するよう常に呼びかけている。もちろん騒音だけでなく、住民の安全にも配慮したうえでの対策だ。
そして同社における最大の地域貢献は、その府道を挟んでプラントの向かい側にある、駐車場・資材置場をフル活用することだ。この広いスペースを地域のイベントのために解放しておられる。あるときは防災訓練に、また災害備蓄品の貯蔵場所として、夏にはプラントに隣接する公園で地域主催の盆踊りが行われるが、その際の参加者用駐車場として提供されている。「ウチの駐車場に車を停めて歩いて会場に行けるので、遠くから帰省される方やお子様連れのご家族、足の不自由なお年寄りなど、地域の皆さんに喜んでいただいています」。
地域のお役に立ちながら働く。事業を経営する。同社の企業姿勢は、持続可能な企業としての理想的な姿と言えるのではないだろうか。
詳しい内容は後述するが、同社では和泉市の某有名会員制倉庫型総合スーパーの土間部分の工事で、お客様(ゼネコン)から、その技術力の高さに対して高い評価をいただいたことがある。実は、このことが働きやすさと大いに関係しているのだ。
今岡氏によると、「そんな難しい仕事は、技術力、集中力がなければ実現できないんです。そのためには全社員が同じことに興味を持って、一丸とならなければ」という。そして、それを実現するために同社が大切にしているのが、社員の不満が出ないように<みんなが幸せになるようにすること>なのだ。その考え方が、同社社員の待遇や福利厚生の充実はもとより、働きやすさを象徴している。その施策のひとつが社内イベントだ。
コロナ禍をのぞいて、同社では様々なイベントが開催されてきた。不定期で開催されるBBQ大会や、年末の餅つき大会、遠足、慰安旅行など、社内の親睦を深める機会には事欠かない。しかも参加者は社員だけでなく社員の家族も参加。今では珍しい餅つき大会には、近隣プラントの社員や納入業者さんのスタッフなども参加して、盛大に開催されるようになったという。「餅つきは、特に社員の子供たちが喜んで参加してくれるんです。今は、餅つきを見る機会も餅をつく機会も少なくなっていますから、ウチの子も本当に楽しんでくれました」。取材に同席いただいた技術課の若手社員、岩間俊弥さんが当時を振り返って目を細める。
特にBBQ大会は、ふだんはプラント内の屋根のある生コン車の待機場に会場を設営して行うが、ときにはキッチンカーを借りてやったり、会社を離れて、舞洲にあるカート場でのアトラクションと組み合わせたりと、社員が楽しく参加できるように趣向を凝らす。こんなところにも、社員に対する気遣いが感じられる。コロナ禍で中止していた慰安旅行も、そろそろ再開する話が出ており、皆さん楽しみにしておられるとのこと。
また同社では、昼食の弁当が会社から支給される。社員の健康を食事面からサポートするという考えから始まった制度だが、それだけではなく、日々忙しい社員の奥様に、少しでも負担がかからないようにとの思いもある。既婚者にはうれしい制度だ。
もちろん、社会保険や厚生年金など基本的な福利厚生は整備されといるし、休日については日曜日・祝日は休みだ。土曜日については、出荷量は多くないが、地域で仕事をさせていただいていることに対する感謝の意味で、地元のお客様のために、2班に分かれて隔週出勤を実施しておられる。
先に述べたイベントもそうだが、働く人だけでなく、家族や地域社会まで視野に入れた対応に、同社の懐の深さがうかがわれる。やはり良い仕事をするためには、社内に不満がなく、気持ちよく働けることがいちばん。それが技術力を高めて会社の売り上げにつながり、社員にまた還元される。つまり好循環だ。そのために同社は、社員が働きやすい職場環境を維持し続けておられる。
安全は社員だけでなく、地域住民、お客様などにも係る重要なテーマだ。そのため同社では、高い意識で取り組んでおられる。その姿勢を象徴しているのが危険物の保安管理だ。同社では2019年に、代表取締役社長の岡本克彦氏が、堺市の<第36回危険物安全大会>で表彰されている。
生コンプラントでは、生コン車などの車両が日々多くの燃料を使うため、近所のガソリンスタンドと契約したり自社内で給油したりするが、同社は後者で、敷地内に給油所を設けている。そして、それを保守管理するのに必要な危険物保安監督者の資格を、岡本氏が自ら、なんと会社を継がれる以前の大学時代に取得。現在も管理者講習に参加されるなど、長年にわたり会社を代表して安全管理に携わっておられる。先に述べた賞は、地下に埋設しているタンクなどの徹底した維持管理の誠実さや、長年の安全管理、運行管理への貢献に対する意識の高さについて贈られたものだ。地域情報誌にも記事が掲載されている。
さらに2023年には、社員の中からも、優良運転者に贈られる<交通栄誉章緑十字銅章>の対象者が選出、一般財団法人全日本交通安全協会から表彰されている。ニュータウンの中で営業を続ける同社にとっては、勲章をいただいたに等しい。
そして安全と言えば、やはりドライバーに関することが多いが、同社では、ドライバーにかかるストレスをできるだけ減らすために、休憩室や待合室には様々な配慮がなされている。まずは待機時に利用できるように、温・冷水の出る給水機やテレビが置かれ、Wi-Fi環境が整備された休憩室が用意されている。さらに洗濯機を備えたシャワー室も設置しており、雨で濡れたり構内作業で汚れたりしても、その日のうちにきれいにできる。焦りや不安、ストレスなどが事故やトラブルの原因となることを、経営側が理解されているのがよくわかる。
もちろん待合室では、始業ミーティングを毎朝行い、その日の現場の注意事項やルールなどについて説明があり、掲示板には注意喚起の注意書きや、現場の写真や地図などが貼られ、新しい現場が始まったときは、初日に終礼を行い、提供情報と違いがないかなど情報共有を行っている。製造やメンテナンスなど社内の仕事でも、2人作業を徹底するなど、安全に作業できるよう配慮している。
働く人にも、地域の人にも、安全を第一に考える同社の姿勢は、これまでもこれからも変わることはない。
同社では、全員がすべての仕事をこなせるように心がけておられる。それをはじめたのは、コロナ渦がきっかけだった。「コロナのときは、誰が罹るか分からないし、本人でなくても家族が罹患しても、当時は濃厚接触者ということで出社できない。かと言ってお客様にご迷惑をかけられないということで、兼務ができる体制をつくりました」。兼務の裏には<お客様のご要望にお答えする>という、仕事に対するこだわりがあったのだ。言葉にすると基本的なことのようだが、実現するには技術力とチームの結束力が要る。
その代表的な事例が、先に述べた、和泉市の某有名会員制倉庫型総合スーパーの土間工事だ。施主様から、土間を鏡面仕上げにするために、独自の非常に難しい配合を求められたのだ。「お客様から『水セメント比47-スランプ18-骨材寸法40という独自の配合で、エアーは限りなくゼロに近づけたい』という要望があったんですが、JISではありえない数字なので、本当に大変でした」と、当時を振り返る今岡氏。取材の途中から参加いただいた取締役専務の山田英幸氏からは、「鉄筋が通常の1/3程度しか入っていない土間でした。そのときたまたまウチが40mmの骨材を扱っていて、設備もあったのでそれも幸いしたんですけど、とにかく施主さんが海外の会社なので、JIS規格外でやらないといけない。しかも当時すでにウチは、大同団結前の広域協組の傘下企業でしたから、品質は絶対に保証しないといけない。しかも当時は、一社でやらないといけないということで、日々品質の違う生コンを、厳しい基準で毎日、安定的に出さないといけない。一ヶ月ほどの間でしたけど、もう毎日が戦争のような日々でした」。山田氏の言葉の端々から、技術に対する熱い思いが感じられる。材料、設備、技術力、時代背景…いろんな要素が合致したうえに、同社の、そして社員の皆さんの、仕事に対するこだわりが、高い評価を呼び寄せたに違いない。
取材の最後に、岡本氏が外出から戻ってこられたので、締めに今後のビジョンについてうかがった。
「もちろん人材も増やしたいんですけど…、やっぱり会社としては技術力を高めていきたいですね、お客様に気に入っていただけるように。生コンの品質は日々変わるものなので、そのことをしっかりと意識してやっていきたいと考えています。以前やらせていただいた、外資系の倉庫型総合スーパーの仕事は、わずかでも配合で気を抜くと分離状態になるような難しい仕事でしたけど、なんとか皆が集中力を切らさずに頑張ってくれて、ゼネコンさんから高い評価をいただきました。これからもそんな仕事をいただけるよう、技術力をもっと高めたいし、社内の雰囲気もさらに良くしたいし、必要な設備も少しずつ整備していきたい」。
生コンの仕事は、建築構造物の強度という重要な部分を担うテクニカルな仕事だ。同社は、地域の皆さんからも親しみやすく、社内においてはフランクな会社でありつつ、困難な仕事をクリアしたことで、やはり根本は技術力という基本的な部分が最も重要ということに、改めて気づかされたという。だから、すべてがその一点につながっている。
派手さはなくても、高い技術力を持つことはお客様から見て最も魅力的なプラントだ。「難しい仕事は、堺の岡本生コンに!」と言われるように、これからも社員一丸となって頑張っていただきたい。
※内容が重複する部分もあるが、広域協組HPでの同社の紹介記事も、ぜひご覧いただきたい
『一人が何かしていたら、誰かが手伝ったり気にかけてくれる!』
会社のイベントに家族を呼んで一緒に楽しむプラントが増えている。同社もそうだ。子供は父や母の会社での姿を見たり、会社の仲間とのやり取りを通して初めて社会を意識し、親を尊敬したり会社に対する好感度を抱く。この体験を通じて将来、親と同じ仕事を選ぶ者もいる。岩間さんもその一人だ。
岩間さんが同社に入社されたのは元々、お父様が同社で生コン車のドライバーをしておられたのがきっかけだ。
岩間さんは、高校卒業後に技術系の専門学校に入学。卒業後は、学校に勧められるままに、メーカーの製造工場のようなところに1年間就職。しかし、自分には合わないとの思いがつのり転職を考えるように。子供の頃から親しんだ同社のことを思い出し、お父様からの紹介で入社された。現在は試験を中心に様々な仕事をこなす、入社9年目の中堅社員として活躍しておられる。きっとご家族で参加された慰安旅行やイベントなど、幼い頃の楽しい思い出が、岩間さんと同社を結びつけたに違いない。社員やその家族を大切にする同社の考え方は、間違ってはいなかったと言える。「会社の人とは小さい頃から親しんできたので、すぐ馴染めました」と、明るく笑う。
岩間さんのおっしゃる通り、同社の雰囲気はとてもフランクで「今でも一人が何かしていたら、誰かが手伝ったり、気にかけてくれているんで助かります。あと、僕ら若手だけじゃなくて、役職のある方でも汚れ仕事をしてくれるんですが、そういうところを見ると、自分も頑張らないと!という気になります」。とても素晴らしいお話だ。
岩間さんは技術系専門学校卒ということで、溶接などの資格は取得しておられたが、さすがに生コンの知識はなく、入社後に勉強された。「僕のすぐ上の先輩でも12歳年上だったんですけど、その方含めて、皆さん優しく教えてくれますし、カバーもしてくださったのでやってこれました」。現在はコンクリート技士の資格も取得しておられる。
岸和田市にお住まいの岩間さん、もちろん<だんじり>に対する熱い思いは誰にも負けないが、今はお子様がまだ小さいこともあり、休日は一緒に過ごされることが多いという。「子供が2人いるので、一緒に公園へ行ったりして遊んで過ごすのが楽しいですね」と、笑顔で語ってくれた。
まだまだ先のことだが、2人のお子様も、働く岩間さんや職場のお仲間の姿をしっかりと見続けてくれることだろう。