推しプラ
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
2025.02.20
生コンワーカーの目線で、近畿地域の<イチ推し生コンプラント(工場)>をご紹介する、新企画『推しプラ』。Vol.18は、広域協組・東部ブロックの< (株)オーシャン>(以下、同社)だ。
会社の規模の大小に関わらず、技術・事業継承は重要な課題だ。これは業界全体の大きなテーマでもある。
比較的、規模の大きな生コンプラントであれば、技術・事業継承に、豊富な経営資源を充てることもできるが、同社は社員9名、いわば生コンプラントとしては一般的な規模だ。各個社によって地域性や来歴、経営方針などが違うため、一概には言えないが、逆に、各社の特性を活かして独自の技術継承・事業継承に取り組むこともできるのではないだろうか。
今回の記事を、ひとつのモデルケースとして、ぜひ参考にしていただきたい。
手の空いた若手スタッフの皆さんと社屋の前でパチリ。代表取締役社長の松永秀樹氏(右から3人目)、工場長の片岡正貴氏(左から3人目)、試験室の小芝泰祐さん(左から2人目)。
同社が立地する平野区は、大阪市の東南部、つまり大阪市の地図を正面に見るといちばん右下に位置する行政区だ。東は八尾市、西は大阪市東住吉区、南は松原市、北は大阪市生野区と東大阪市に接している。そんな平野区の北西部、JR大和路線平野駅に程近い平野馬場という地区に立地する同社は、いわゆる典型的な都市部型の生コンプラントだ。
平野区名の由来は古い。元々当地は、地域の豪族<杭全(くまた)氏>の領地で<杭全郷>と呼ばれていたが、平安時代初期に坂上田村麻呂の次男<広野(ひろの)麻呂>が、嵯峨天皇から賜って当地を開拓し、治めたことから屋敷のあった当地を<広野殿>と呼び、それがなまって<平野(ひらの)>また<平野郷>と呼ばれるようになったとか。一方、かつて杭全氏が当地を開拓した際、多くの湖沼を埋め立て<野が平らになった>ことから<平野>になったという説もある。実は平野区は、大阪市24区内で3番目に面積が広いことから、この説も、当たらずとも遠からずと言えるのではないだろうか。
河内木綿の栽培・集積地であった当地は、戦国時代には周囲に環濠(堀)が巡らされ、町民代表が管理運営する自治都市として繁栄。大坂の陣で軍事拠点となり、戦火に焼かれた時期もあったが、坂上家の子孫である末吉家により町並みが復興され、またフィリピンやタイ、ベトナムなどとの南蛮貿易でも栄えた。そして特産である綿花から摘み取った綿を紡ぎ、それを織ってつくる<河内木綿>は、環濠と平野川の水運を活かして、明治時代まで平野の発展を支え、明治には綿業の町として隆盛。その後は、繊維・紡績産業で培った技術を活かして様々な商工業が発展した。
近代には、産業の隆盛と共に鉄道・道路など交通網の発達。大阪南部の玄関口である<天王寺><難波>へのアクセスの良さから、高度経済成長期を支える働き手のベッドタウンとしての役目も果たした。現在も、大阪市でいちばん人口の多い区(2024年1月1日時点)として、同社の立地する北部の準工業地域と、神社仏閣が点在する中央部以外はほぼ住宅地域が広がっている。
同社は、他社のグループ企業の時代などを経て独立、2000年6月14日に設立された。敷地は、国道25号線(名阪国道)と国道479号線(大阪内環状線)が交差する、アクセスの良い場所にあり、このほかにも府道2号(大阪中央環状線)、高速道路では近畿自動車道や阪神高速14号松原線、西名阪自動車道などにもつながる好立地だ。
広域協組に加盟してからは、最近納品した阪神高速道路・喜連瓜破付近の、高架架け替え深夜工事(TVのニュース番組等でも放送)現場への出荷など、巷で知られるシンボリックな物件への出荷も増えたが、元々アウト(協組未加盟)業者でご苦労をされた時代から、ハウスメーカーや工務店など地域のお客様のスポット案件を多く引き受け、暮らしに直結する戸建住宅や集合住宅、各種施設、インフラなどの開発需要に対応してこられた。地味ではあるが、これこそまさに地域との共存共栄、SDGs(持続可能な開発目標)だ。仕事の割合は月によって、また件数と出荷量で若干違うが、現在でも仕事全体の中ではスポットが約6割、協組の物件が約4割というから、これまで取材をしたプラントの中でもスポットの仕事は多いほうではないだろうか。それだけ地域で愛され、必要とされ、信頼されているということだ。
そして、そのアクセスの良さから、遠方への出荷を依頼されることもある。広域協組に加盟するプラントは、所属するブロックで決められた出荷エリアを基本としているが、その立地により<生コンの90分ルール(製造から90分以内に工事現場まで届けなければならない)>の範囲で、遠方に出荷することもあるのだ。「東西は難しいんですけど、南北は動きやすいんです。都島にも行きますし、枚方や守口なんかも行きますよ」。工場長の片岡正貴氏は語ってくれた。
また同社は、配合等が難しい<高流動コンクリート>のJIS認証を、2024年4月に取得。その認証技術を早速、前述の阪神高速道路の架け替え工事で活用するなど、技術面でも常に前のめりだ。
これからも高い志を持ち続けて、地元平野区の、そして周辺地域の人々の暮らしを基礎から支え続けてくれることだろう。
リニューアルして3年目のプラント(上)と、リニューアルして2年目となる真新しい社屋外観(下右)と事務所(下左)。
所在地 | 大阪府大阪市平野区平野馬場1-3-9 |
---|---|
操業 | 平成12年6月14日 |
代表取締役 | 松永 秀樹 |
社員 | 9名 |
出荷量 | 50,000㎥(2022年実績) |
ミキサー | 1基(1,800L) |
生コン車台数 | なし(すべて傭車会社に依頼) |
●代表取締役社長 松永秀樹氏
●工場長 片岡正貴氏
●試験室 小芝泰祐さん
働きやすさの目安は、若手スタッフがどれだけ元気に仕事をしているかを見ればよく分かる。
同社は現在、亀山勝彦前社長(現会長)の強い意志で、次代を見越し、設備も含めて会社の世代交代を精力的に推進しておられる。そのため自ら社長を引退し、会長として会社を見守られ、現在の布陣を敷かれた。
2023年6月には松永秀樹氏が社長に就任。片岡正貴氏が2024年10月から工場長に就任された。スタッフ的には片岡氏が34歳、あと30歳が2名、29歳が1名、20歳が1名(すべて取材当時)と、生コンプラントとしては若者の割合が多い。会長の亀山氏はまだまだお若いが、今回の取材でもご自身は前に出ず、松永氏と片岡氏にすべて任せておられる。社員も若手を中心に増やし、社屋をキレイにして彼らが働きやすいように労働環境や仕組みを整備しているのだ。社屋がリニューアル2年目、プラントは3年目となる。
そして新しい仕組みのひとつが、皆がいろんな仕事をできるようにすること。これまではそれぞれの仕事に専属の社員がついていたが、今は、各自のメインの仕事もあるが、全員がいろんな仕事をこなせるようにして、誰かが休んでも仕事に穴が開かないよう、また皆が休みを取りやすいように工夫している。皆が一人を助け、一人が皆を助ける。そして輸送については、従来から輸送のプロである傭車会社に任せることで、現在の体制を確立されているのだ。もちろん有給休暇や健康保険、厚生年金、資格手当など、一般的な福利厚生は完備しているため、社員は安心して働ける。
気になる休日だが、やはり地域のお客様のご要望を無碍(むげ)にはできないため、休みは基本的に日曜・祝日のみだ。ただ、輸送を全面的に傭車に依頼している上、出荷量的には平日の半分程度のため、皆で工夫したり頑張ったりして、今後は月に1回でも、土曜日に休めるようにしていきたいと語る。「人が増えたんで休みやすくなりましたね。昔は人数も少なくて仕事も専属のようなスタイルやったんで、やっぱり休みにくかった。けど今は、会長も社長も、社員のことを考えてくれて、みんながいろんな仕事をできるようにしてくれたんで、有給休暇も普通に取りやすくなって、最近、急速に楽になりました」。片岡氏の微笑みで社内の風通しの良さが分かる。社員間のコミュニケーションも大切にしており「大泉緑地や久宝寺緑地、夏は暑いから天川村なんかでBBQを年に4回ぐらいはやってますね。若い社員を中心に家族や子供も呼びます。もちろんZ世代もいますので、無理強いはしませんが」と、笑う。このような雰囲気の会社が、働きやすくないはずがない。
若手スタッフを中心に、家族や子供達も参加して年に4回行われるBBQ大会。
同社の仕事へこだわりは<技術力>だ。とにかく今、社員の世代交代もあって、片岡氏を中心に、技術力の向上に興味津々。その際たる事例が、前述の<高流動コンクリート>のJIS認証取得だ。
「今年の4月に<高流動コンクリート>の認証を取得したんですが、それが東部ブロックで初めての取得で、その1ヶ月後に、早速、阪神高速の夜間架替工事で高流動コンクリートを使いたいというオーダーがありまして、2回ほど試験練りや道路関係の試験をやったのちに受注することができました」。片岡氏は、うれしそうに話してくれた。
「実は以前、広域さんから全工場に対して『今後は、いつでも高流動コンクリートを出荷できるように準備しといてくださいね』というアナウンスがあったんです。でも、皆の意見が『どうせ準備をするんなら、もうJIS認証を取ってしまったほうが良くない?』ということで、大変でしたけど数ヶ月前から社内で試験練りをして頑張りました」。工場長の片岡氏は、笑顔で語ってくれた。今でこそ笑顔でお話しいただいているが、通常の仕事が終わってからの試験作業が数ヶ月続くと考えると、その間どれだけ大変だったかを想像するのは難しくない。しかし生コンの仕事は公共性が高い上、もしもの際は人命にも関わることで、JIS認証は信頼の証だ。
阪神高速の仕事でも「その工事では割り当てでウチともう1社が入っていたんですけど『やっぱりJISマークが欲しい』ということで、担当者さんから『オーシャンさん、お願いします』となって、ウチがさせていただきました」。ビジネスとして、会社の大きな付加価値となることも証明されている。
「とにかくウチは若手が多いプラントで、先にお話しした高流動コンクリートのこともそうですが、技術的なことも含めて、新しい技術にチャレンジできる体制が整ってきています。なので、たとえば広域さんの働きかけで、2025年の関西・大阪万博での実装などをめざして、BB(高炉セメントB種)にフライアッシュ(石炭を燃焼した際に出る副産物)を加えて、さらなる低炭素化を目的とした実証試験をされるということで、ウチも参加させていただいています。うちではフライアッシュが扱えないので実出荷はできないんですけど、今後のことを考えて、事例として経験しておきたかったので参加させていただきました」と、やる気満々の片岡氏。
そして、このように新しい考え方を取り入れる一方で、同社は創業時から変わらない想いも大切にしておられる。松永氏によると「会長からは、0.5㎥や1㎥の仕事を断らず、取りこぼしのないようにすること。仕事の規模や効率ばかりを追いかけないようにと言われています。『たとえば4時着で0.5㎥欲しいみたいな仕事は、ウチに声がかかるまでに2、3ケ所で断られて困っている。それを受けることで、次には2番手、1番手に声かけてくれるかも知れんので、そういう仕事を大切に取っていこう』と言われています」。目先の利益を追わず、お客様のお困りごとに寄り添う。この地域をずっと見てこられた会長の言葉には説得力がある。さすがの一言だ。
試験室と、同社が取得した<高流動コンクリート>のJIS認証(白破線内)。
都市部型プラントである同社の安全対策といえば、生コン車のプラントへの出入りだ。同社の周辺は準工業地域ということで、プラント周辺に小規模な工場や住宅が存在する。そのためプラントへの入退場ルートについては方向が決められている。これは創業時に前社長と近隣住民とで決めた約束事で、現在もしっかりと守られている。
そして生コン車の出入り以外にも、都市部型プラントの宿命で敷地面積を広く取れないが、できるだけ生コン車の待機が少ないように工夫することで、スムーズな輸送に加えて、ドライバーの安全や地域住民への配慮などを両立しておられる。スポットの多い同社では現場数も多いため、配車係の腕の見せどころだ。
また同社が、自社で生コン車を保有せず、輸送をすべて傭車会社に依頼しているのも、もちろん駐車スペースの問題も関係している。敷地内での操車を含め安全性が高く、効率の良い輸送は、輸送のプロとして信頼している傭車会社のドライバーに任せ、社員は社員で製造技術にこだわる。このようにそれぞれがプロ意識を持って役割分担をすることで、同社の生コン品質や輸送品質、そして何より輸送の安全が保たれているのだ。
もちろんそのほかにも、構内作業をする際の<2人作業>の徹底や、始業前には傭車会社の代表が集まってミーティングを励行するなど、基本的な安全対策に抜かりはない。社外に対しても、社内に対しても同社ならではの安全対策を実施しておられる。
創業時からの近隣住人との約束を守り、プラントを出る車両は右回りで現場へ向かう。
世代交代を推進してきた同社に、今後のビジョンについてうかがうと、松永氏からはこんな言葉が出てきた。
「実は、2025年の春から夏頃にかけて、新しいセメントサイロを建てる予定なんです。それで高炉セメントとか、扱えるセメントの種類を増やして、受注できる仕事の幅を増やしていきたいですね。SDGsへの対応も意識したいですし」。人材の次は設備投資、そして環境対策。これからのビジネスは、環境を外して考えることはできない。さすが経営者目線だ。そして社員と共にそれを具現化していく片岡氏は、「プラントも事務所も新しくしてもらったんで、あとは我々が技術力をつけていく番ですね。実は私も2023年から、東部ブロックの技術委員会に参加させて貰えるようになったんですけど、広域さんの考えているレベルが高くて、委員の皆さんもレベルの高いことをやってはるので、それについて行って、新しいことにチャレンジして、ウチの技術力を高めていきたいと思います。特に今、環境問題等が叫ばれているんで、もちろん設備も勉強もいるんですけど、スラッジ水の活用とかから挑戦していきたいですね」と、片岡氏。さらにこんな夢も語ってくれた。「生コンの仕事ってよく分からないでしょう?僕もこの業界に入った頃はそうでした。だからできれば、生コンワークのやりがいや誇り、魅力、難しさなんかを若い人に伝えたいですね」。少し照れながら語ってくれた片岡氏の言葉に、生コン業界への深い愛情が感じられる。
もちろん社員が働きやすい労働環境づくりも、技術力の向上も、設備投資も、最終的には売り上げアップにつないで、会社を発展させるのが目的だ。だがそれも、同社のチームワークがあれば実現できるに違いない。
若い社員達と共に、これから拓ける新しい市場(オーシャン)へと漕ぎ出した同社の行く先には、大きな夢が広がっている。
『新しいことに挑戦させてくれて、それをサポートしてくれる!』
小芝さんは転職組、それも、とてもレアなケースだ。
なんと前職では、奥様とお子様を日本に残し、単身で中国上海にある飲食店で勤めておられた。
ところがご存じの通り、上海はコロナ禍でロックダウン。しかたなく一時帰国し、回復しだい復帰するか、他の飲食店に転職し新たな挑戦を…と考えておられたが見通しがつかず、さらにご家族で上海に移住する予定だったのも目途が立たず、まさに八方ふさがりに。
そんなときに、以前から声をかけていただいていた同社の亀山会長(前社長)のお誘いを思い出され、飲食業とは全く違う生コン業界への転職を決意されたのだ。実は亀山氏は、義理のお父様のお知り合いで、小芝さんとは10年ほど前から面識があり、以前から声をかけていただいていたという。「心機一転、声をかけてくださった会長の下で、家族と一緒に暮らし、働くことに決めました」と、当時を振り返る小芝さん。
そんな小芝さんも、今年で入社して3年目。今では、試験課で活躍しておられるが、当初、生コンの知識が全くなかった小芝さん、入社後には先輩から生コンの専門知識を学ぶこととなる。
「初めての業種だったので、まずは自分から興味を持って好きになろうとしました。分からないことはすぐに聞きました。それに片岡さんをはじめ、先輩方が応えていただき丁寧に指導してくださったので、業務の中で知識や技術を学ぶことができました。今もガンガン質問をして勉強中ですよ(笑)」。受け身ではなく、自分から興味を持たれるという姿勢がすばらしい。しかも入社当時だけでなく、今も前向きに頑張っておられるようだ。そして会社の雰囲気については、「社内はとても良い雰囲気ですね。皆さんフレンドリーで話しやすいです。なので仕事のことはもちろん、仕事の合間でプライベートな話もよくします。それから、どんどん新しいことに挑戦させてくれて、社長をはじめ上司、先輩方がそれをサポートしてくれる。あと、業界の中でも比較的若い社員が多いことも、雰囲気の良さの原因かもしれませんね」と、明るく答えてくれた。
さらに先輩や上司とのコミュニケーションの良さは、仕事だけではない。長く単身赴任をされていたからか、休日は、家族で過ごすことが多いという小芝さんだが、会社のイベントや同好会にも進んで参加しておられる。
「週末はBBQや食事会など、片岡工場長を中心に皆さんがいろんなレジャーを計画してくださるので、先輩方のご家族と一緒に参加させていただいています。今年は、若手社員みんなでゴルフに行く予定があり、すごく楽しみにしています!!」と、ゴルフのポーズを取りながら語ってくれた。
「もちろん仕事のほうもまだまだ勉強中なので、勢いのある片岡工場長にしっかりとついていき、日々成長していきたいと思っています!」と、笑顔で答えてくださる小芝さん。仕事も、プライベートも、共に非常に充実しておられるようだ。
休日は、お子様と一緒に過ごされることが多い小芝さん。この日のお出かけは動物園でしょうか?