推しプラ
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
あなたの[イチ推しプラント]はどこですか?
2023.12.22
生コンワーカーの目線で、近畿地域の<イチ推し生コンプラント(工場)>をご紹介する、新企画『推しプラ』。Vol.8は、広域協組・東部ブロックの< (株)稲田巳(いなだみ)建材>(以下、同社または同工場)だ。
都市部で、一見、交通の便が良く見えるロケーションに立地するプラントも、実はリスクが高いことがある。今回は、東大阪市水走(みずはい)にある同工場を訪れ、都市部に立地するプラントのメリットとデメリットについて、またそれを克服するノウハウなどについて詳しくうかがってきた。
東大阪市(以下、同市)といえば、全国的にも知られる中小企業の街、そしてものづくりの街だ。かつて河内平野と呼ばれた当地は、生駒山麓の西側に広がる湿地だった。時代の流れと共に開発が進んで、江戸時代には綿花栽培が始まり、河内木綿が全国に広がると水車を利用した地域産業が発達した。明治時代には交通(鉄道)の発達に伴い、綿花などをつくっていた農村には紡績機械が入り、他方、南河内からは鋳物の技術が伝わって発展。これらをルーツとしてものづくりの街、中小企業の街として発展してきた。
同社は、同市善根寺町にて1966年1月に建材を扱う個人商店〈稲田巳建材店〉として創業。6年後には空洞コンクリートブロックの製造販売をスタートし、1986年1月からは顧客ニーズに応えるかたちで生コンクリートの製造販売事業に参入。街の発展と共に成長して来られた。高度成長期を支える工場や倉庫の建設、また同市の人口が大阪市、堺市に次いで府内3位ということで、住宅建設の需要もあり大いに発展。その後は数度のS B(スクラップ&ビルド)を経て、2001年8月に法人化。2015年に広域協組に加盟し、2020年1月には、本社のプラントから現在の水走にプラントを移転・新設された。現在の仕事量は、広域協組が6~7割、地元のスポットが4~3割ぐらいの割合いで、地域のお客様も多い。「有難いことに、昔から贔屓(ひいき)にしてくれるお客さんもおられますし『他ではあかん!』って言うてくれるお客さんもいてくれるので」。それが、地元で代々やって来られた同社のメリットだ。同社名の〈巳〉は、創業者の父・稲田巳之吉氏の名前に由来する。「法人化のときに、変えようという意見もあったんですが、昔からお客様には『巳さん!巳建さん!』と呼ばれて可愛がっていただいたので、残すことにしました」と、現社長のご子息である建材部の稲田晃大氏。地域のお客様を大切にする姿勢は創業時と変わらない。
そんな同工場が立地する東大阪市水走は、東大阪市でも最も東寄り。東向きに走ればすぐ奈良県生駒市に入るロケーションだ。また中小企業の工場や倉庫がひしめき合う地域にあり、敷地は南北に長い長方形で余裕がない。さらに敷地のすぐ南側には、大阪府を東西に横断する阪神高速13号東大阪線(以下、阪神高速)が走り、その高架の真下にはこちらも東西に長い中央大通が通る、ある意味、便利な立地だ。ある意味といったのは、便利な反面、混み合う場所でもあるからだ。事故やトラブルがあれば、生コンの納入が遅れてしまいかねない。「いつもドキドキしています」と、工場長の前田亨氏。同社はそのような難しい状況で、3代にわたってこの地で事業を続けて来られた。そのヒミツは、ものづくりの街、東大阪の企業らしく、知恵を絞ってこられた結果だ。
現在同工場は、狭い敷地や交通の集中というリスクを、善根寺町の本社、川中の待機所、水走の同工場という3拠点を上手く活用しながら、<GPS車両管理システム>や<動線を重視した設計><構内一方通行の徹底>など、様々な創意工夫や設備の導入で乗り越えて来られた。あえて言わせていただくと、このような元気な街工場の知恵と実行力が、同市や大阪府全体のこれからを、大きく盛り上げてくれることだろう。
所在地 | 大阪府東大阪市水走3-3-33 (本社/大阪府東大阪市善根寺町4-6-31) |
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設立 | 平成13年8月1日 (創業/昭和41年1月) |
代表取締役 | 稲田 晃祥 |
社員 | 30名(内20名がドライバー) |
出荷量 | 約72,000㎥/年 |
ミキサー | 1基(3,300L) |
生コン車台数 | 自社保有38台 (10t車:16台・7、8t車:10台・㎥車:12台) |
●建材部 稲田晃大氏
●工場長 前田亨氏
●営業部 課長 下田健太氏
●試験課 大久保貴仁さん
地域に根ざし、地域と共に発展してこられた同社は、地域貢献にも熱心だ。
例えば、地域防災に関しては、広域協組に加盟した当初から東大阪市と協定を締結。災害時に消火用水や生活用水を運搬する訓練は、年明けに消防署が行う出初式のときに毎年実施し、山林火災を想定した訓練では、防火用水を採る河川がない前提で、㎥車に防火用水を積んで山道を登り、その水を水槽に溜めるということも行っている。さらに、以前、他県で人がサイロに転落して亡くなるという事故があったのを受け、東大阪市の消防署の要請により、旧プラント(本社)に残るサイロ跡で、2日間にわたって4分団が訪れ、人形を使った実証実験が行われた。
また直接的な地域貢献としては、同社の地元である善根寺町の秋祭りには会社をあげて協力し、工場をだんじりの休憩所として開放。「休日にもかかわらず、社員の有志がボランティアで焼き鳥やフランクフルトを焼き、飲み物やお菓子などを提供しています」と、下田氏。
そして、同社の地域貢献として独自の取り組みといえるのが、公園整備への協力がある。
本社のある善根寺町から依頼を受け、近隣の反田池を埋め立て、周辺を整備してグラウンドや市民農園などに整備するにあたって、桜の木を植樹し、町民の憩いの場となるよう公園づくりに協力された。階段状の土地のため、ここを整備するのにも残コンでつくった㎥ブロックを使われたという。
こういう協力はよそではやっていない。地元を大切にしてきた同社らしい地域貢献だ。
地図を見ればお分かりいただけると思うが、同工場は、阪神高速と市内を流れる恩智川が直交する地点のすぐ北西に立地する。しかし阪神高速の真下は、大阪市から東大阪市のほぼ中央を東西に結ぶ中央大通が走っており、高速の出口から下りてくる車両と合流することから、交通量が多いうえ、慣れないと運転も難しく、事故発生の多い地点でもある。そのため、危険を避ける意味で、同工場では、生コン車の出荷や材料運搬車両の退出などの際には、いくら急いでいても、基本的に敷地から出てもすぐに右折して中央大通や阪神高速をめざさず、必ず左折して、迂回してから中央大通りや阪神高速を利用するように指示しておられる。さらに、南北に長い長方形の敷地内で車両のトラブルをできるだけ避けるため、敷地の北側から入り南東側へ出るという<場内一方通行の徹底>を実践しておられる。
もちろんその一方で、便利な面があるのも確かだ。「今は生コン車ドライバーも人手不足で、傭車屋さんも取り合いになる時もあるので、例えば車両が足らなくてお客さんから苦情がくるところも、高速をうまく使えば多少はフォローできるんで助かっています」と、工場長の前田亨氏。次の項で出てくる<GPS車両管理システム>も、そのための工夫だ。車両の集中する高速道路や幹線道路も、使い方次第ということだ。
また生コン車のドラムに付着したコンクリートをハンマーとタガネで取る<ハツリ作業>では、ドラムの内部に入って作業を行うため、万が一のことを考えて、必ず2人作業で行うよう徹底しておられる。
同社において効率化・省力化といえば、最初に紹介しなければならないのが<GPS車両管理システム>の導入だ。
「高速道路は、出荷に使えるし上手く使えば便利なんですが、一旦、通行止めとかになると、下道に車が集中する。そうすると普段なら中央環状線を10分ほどで越えるのに、30分、40分とかかる。大阪市内の現場へ行くときは、そのへんの読みが難しい。90分を超えて持ち帰りということもありました」と、下田氏が苦しい胸の内を語ってくれた。「東大阪市は工場や倉庫も多く、人口も多いため住宅も少なくない。ということで、このエリアはとにかく車が混む。そんな環境なので、常に状況を見極めて配車しないと、待機ばっかりでも途切れてしまっても困る」。前田氏も苦労を語る。そこで、効率よく配車できる同システムが役に立つのだ。
同システムは、同社の所有する全車両にGPSを取り付け、出荷室の地図モニターで一括管理を行う。モニターには、各車両の現在位置や方向、走行スピードなどが出て、それを見て的確な指示を出せるようになっている。GPSについては20年近く前から導入しておられるとのこと。「当時は、誰もがビックリしていましたね。ウチの社長は、新しいもの好き(笑)というか、効果のあるものはすぐに取り入れてくれるんで助かります」と、下田氏。これにより同社では、タクシー会社のように配車管理がしやすくなったという。また、気になる持ち帰りの残コンだが、現在は、すべてまとめて豆腐と呼ばれる㎥ブロックに加工したり、本社で路面材用の再生骨材に加工したりして販売しており、ムダにはなっていない。さすが、転んでもタダでは起きない大阪の会社。そのたくましさに喝采をおくりたい。
効率化や省力化というと、一見、社員には無関係のように受け取られがちだが、効率化や省力化が進むと、社員としても仕事がしやすくなったり、利便性が高まったりして労力軽減や時短などのメリットも出てくる。それに、効率化や省力化によって仕事が増えることは、社員の待遇や労働環境、労働条件等の改善などに充てる予算にも余裕が生れるというメリットもあるのだ。
福利厚生・働きやすさという点においても、同社の考え方は素晴らしい。
実は、前項で述べた<GPS車両管理システム>導入のメリットは、効率化だけではない。同工場は敷地面積が限られているため、同工場に近い川中の待機場のほかに、善根寺町にある本社にも待機場を設置し、現場の所在地や交通状況、帰りの経路、次の現場などによって、どこで待つのが効率的かを判断し、指示を出している。ドライバー側からすれば、これで、少しでも焦りやストレスなく仕事ができるようになるのだ。
また洗い場も同工場(2台分)と本社(4台分)それぞれにあり、スムーズに残水処理やドラムのうがいができる。終業前に洗い場で待たされることはない。さらに冷暖房・給湯器・テレビを備えた休憩所や、女性専用のトイレも各拠点に設置している。このことも、効率化や省力化は会社のためだけでなく、働きやすさにもつながっているということを、理解していただけると思う。
休日については、今までは日曜日だけだったが、土曜日を隔週休みにされている。「やっぱり僕らのような若い社員は、<お金より休みが欲しい>という考えの人が多いと思いますし、今はゼネコンさんも土曜日は仕事をしない方向です。土曜日の出荷量も減ってきているんで、社員を3チームに分けて、交代で休んでいます。で、どうしても忙しいときは、傭車を頼んでいます」と、晃大氏。一方で「できれば完全週休二日制にしたいんですけど、現状では土日を全休にするわけにはいかないんですよねぇ…」と、腕組みをする下田氏。というのも、生コンの出荷量が少なくても、何らかの仕事はあるうえ、同社には建材部門もあるからだ。とは言え、働き方改革は今の時代の要請でもあるため、将来的には完全週休二日制の導入はめざしたい。同社なら、何か秘策を考えてくれるに違いない。
ほかには熱中症対策として、空調服の支給はもとより、スポーツドリンクや塩タブレットなどを用意されている。「本社事務所の外に冷蔵庫を置いていて、自由に取れるようにしているんです。事務所の外というのがミソで、気兼ねせずに取れるようにしています」と、前田氏。社員に対する、この気配りがうれしい。
気配りと言えばもうひとつ。同社では、販売店さんからいただいた地図に独自に手を加えておられる。前田氏によると「よりスムーズに輸送するには、誰が見てもわかる地図にする必要がある。例えば傭車屋さんの人には、京都あたりから来られる方もいて、『阪奈道路を上がって…』と言っても通じないこともあるので、目印や注意を書き込んだ地図を自分達でつくっています。でも、それを見ても迷うことがあるんですよね。それに途中で交通事情が変わることもある。そんなときは、ウチの<GPS車両管理システム>で、『そこから2本目を右折して』とか、具体的に指示をします」。このシステムはもちろん素晴らしいのだが、いただいた地図を自社でつくり直すところに、ドライバーに対する愛情を感じる。
同社には、広域協組内でも唯一無二とも言える独自のこだわりがある。それはナンバープレートだ。これは、現社長のこだわりで、なんと同社で使われている車両のナンバープレートが、すべて<22-22>で統一されているのだ。その心は、常に上をめざして努力する姿勢だ。つまり、1位より上はないが、2位は1位という目標に向かって絶えず努力できる。その意欲を見失わないようにとの思いを、<22-22>のナンバープレートに込めているのだ。このこだわりは、お客様だけでなく地元でも知られているため、社員は常に気を引き締めて仕事にあたっているという。「ただ、現場で番号を控えるガードマンさんが困ることがあります」と、苦笑い。常に気を引き締めることは大切だが、なかなか難しい。このナンバープレートは、地元の人や現場でも見られているため、それを意識するだけで気持ちが引き締まる。なかなか良いアイデアだ。近頃、世の中はドライに考える風潮が強く、精神論を軽んじる傾向にあるが、やはりどのような仕事も、根っこの部分には、このような精神論は大切なことではないだろうか。
またこだわりは仕事だけにとどまらない。同社にとって同工場こそ、こだわりの塊だ。敷地面積こそ、本社にあった旧プラントの倍近いが、南北に細長い長方形で狭く、使いにくい敷地を効率よく使うために、専門家に丸投げではなく、社長自らが各地のプラントを見に行かれ、また当時、建築士として設計事務所に勤めておられた社長のご息女が、安全かつ効率よく車両が動けるよう、<動線>への配慮をコンセプトに、一部、ご自身も設計に携わられた。また、ご子息である晃大氏のアイデアで、バッチャープラントと事務所は、遮熱効果がある黒の艶消し塗装で仕上げられている。シルバーのセメントサイロとブラックのバッチャープラントのコントラストは、いい意味で業界らしくないシックな外観で、同社が重視しているリクルート対策にも一役買ってくれるだろう。
「とにかく、今後のウチの核となる技術継承を進めることですね。まずはベテランの方々の技術を学ばないと…」。同社の後継者となる晃大氏は、同社のビジョンについて事業継承を挙げた。
…と、ここまで聞くと若手社員がいないと思われるかもしれないが、驚くことに、同社には20代の社員が5人もいる。「社長の息子さんが入ってから、4人確保してもらいました」と、前田氏が微笑む。晃大氏によると、「私は大阪桐蔭(大阪桐蔭高等学校)で野球をやっていたんですが、学生時代の友達を誘ってきたんです。今のところ、特に不満もなく明るくのびのびと働いてくれてます。まぁ私に言わないだけかもしれませんけど(笑)」。下田氏も、「この若手社員たちが働きやすい職場、長く働いてくれるような職場に、僕らがしていかなあきません」。と、力強く語る。これまでの話が、すべてここにつながっていたのだ。
晃大氏は「まずは人を確保するということで、友人からはじめました。でもずっと知り合いだけという訳にはいかないので、今はまだ具体的には動けてはいないんですが、次をめざすために、今後は大学や高校、専門学校などを訪問して、就職のセミナーというか説明会のようなことができないかと考えています」。若手がいないという話は、どのプラントへ行ってもよく聞く話だ。しかし、すぐに友達を4人も連れてくる人望と実行力には驚いた。
もちろん簡単にはいかないとは思うが、晃大氏の前向きな気持ちと実行力があれば、同社の人材問題の将来は明るいのではないだろうか。
『話しやすい、質問しやすい雰囲気をつくってくださる』
大久保さんは、晃大氏の大阪桐蔭高等学校時代の同級生だ。入社されてもうすぐで3年になる。
なんと大学で法律を学んでおられたが、思うところあって辞められ、そのタイミグで晃大氏の誘いを受けて、同社に入社された。
会社や職場の雰囲気をうかがうと「試験課も他の部署も、年上のベテランの方々が多いんですけど、色々教えていただけるし、話しやすい、質問しやすい雰囲気をつくってくださっていて、仕事はしやすいです」。現在は、3名のベテラン社員と試験課で働きつつ、コンクリート技士をめざして試験勉強の真っ最中とのことだ。
実は大久保さんは、大阪桐蔭高等学校時代、吹奏楽部に在籍。ホルンを担当されていた。同校は、野球だけでなく吹奏楽部も強豪校だ。年間約80公演をこなし、厳しい練習に耐え、もちろん甲子園にも行っておられた。卒業後はOBのバンドに加入して、現在も年に何度か公演に参加されているという。
にこやかで笑顔を絶やさないが、芯の強さがある大久保さん。資格取得も、今後の活躍も、間違いないだろう。