KURSレポート
KURSや仲間の活動情報をタイムリーに。
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2018.07.31
大阪府北部地震発生から、2週間をむかえようとした7月2日、大阪広域生コンクリート協同組合加盟で北ブロック内にある新大阪生コンクリート株式会社社長の大峠勇氏、工場長代理の佐藤和幸氏のお2人にお話をうかがいました。
まずはじめに、地震発生時の状況について、お2人にうかがいました。
「当日の被害状況としては7時58分発生という事で、出荷していたら変わっていたと思うんですが出荷の前だったので、地震発生でただちに従業員は建物から構内に避難、そして安全確認という流れにはなりましたね。実は私は、揺れたときはトイレに入っていたんですが、壁がひび割れする瞬間を見たのでビックリました。社屋の裏手に工場がいくつかあって、そこを見て回りましたが、皆は、安全が確認できるまでは外にいて無事でした。工場裏にあるコーヒー豆の焙煎工場の人からは、『普段は8時になったら工場の機械に火を入れていたので、発生がその2~3分前だったというのが、結果的に良かったのでは』との話を聞きました。しかし、大事に至らなかったから良かったものの、避難についても、よくよく考えればプラントの窓ガラスが割れ落ちる危険もあったので、直ぐに外に飛び出る行動についての注意喚起と、建物には近づかない形での安全確保も必要だと感じました」と、佐藤氏。避難行動のあり方について、ご自身でも感じるところがあったという。もしも窓ガラスが割れていたら、もっと大きな被害が発生していたかもしれない。また、わずか2~3分の違いが、被害の軽重を分けたことは、地震と発生時間について、新たな課題を投げかけられたかたちだ。
それを受けた大峠氏は、「その焙煎工場の人の話では、うちのセメントサイロもかなり揺れていて、倒れてきたらとの不安もあったと聞いています。今回はたまたま窓ガラスも割れずに避難できましたが、従来プラントの中に安全な場所があるのだろうか…とも思います。今後は、屋内に居るか外(構内)に出た方が安全なのかも検証しなければいけませんね」。確かに、セメントサイロを持つ企業としては、倒壊等による被害について、またサイロ自体の強度など、いろいろと考えさせられる部分が多かったのではないだろうか。業界としても、課題のひとつと言えるのではないだろうか。
続いて、工場や設備などに関して、どのような被害があったのかを佐藤氏にうかがった。
「当日は出荷が入っていたので、揺れ戻しがないかを警戒しながら、更に30分待った後に、プラントが稼働できるかどうかを、製造の全員で点検してまわりました。
その中で、プラントの上にあるエアー配管が抜け、エアー漏れの音が下まで響き、サイロ上部の水配管が破裂して水が噴き出ていたり、プラント建屋の外壁の損傷がありました(すでに修理は終わっている)。そのほかには地下に軽油タンクがあるので、漏洩検査はすぐに行いましたが、(異常が)これは出る時は一ヶ月~二ヶ月かかって出ることもあるので、継続的にみていかなければなりません。今後、傷んでるところのへの影響はでてくると思うので、その後の出荷前の安全点検作業は欠かせませんね」。さすがに躯体が壊れるような大きな被害ではないにしても、点検によって数ヶ所の被害の発生が確認されたのだ。もし震度が6弱ではなく、6強や7になっていたら…、と考えると恐ろしい。
工場や設備に次いで気になるのが、現場対応だ。もちろん当日も打設予定の現場が入っていただろう。
「当日は3現場ありました」と、すかさず佐藤氏。
「大手ゼネコンは、確認が出来るまで作業を中止したところが多かったと聞いていましたが、ウチの場合は1時間後には確認ができました。ただ少し不安な点もあったので、現場の安全確保が済んでいた、グループ社の販売店が取引する現場に搬入することになりました。
ウチは、山(北部や郊外)の現場が多かったので、(都心部に比べると)道路事情も何とかなったのかなと思います」。現場の確認はとれたものの、余震やさまざまな心配事から、まずは緊急時に互いが対応し合える身内の現場から対応していたのだ。マスコミでも余震の心配が報道されるなか、何が起こるかもしれない状況下では、賢明な判断と言えるのではないだろうか。
大峠氏も、「(施設の)細かな損傷はありましたが、直接出荷できないほど大きな被害は無かったということです。大手ゼネコンでも建築の方はそうだと思います。土木はまだ点検もしやすいですから打設ができたんでしょうね。道路事情は大阪市内も酷かったようですが、北ブロックでは高槻方面も幹線道路171号が混んでいて、近い距離で、本来20分で行ける現場が倍の時間を要したとのことです。車でいろんなモノを運ぶので大変な事になっていましたね。近隣の工場は多少なりとも、どの社も被害はあったようですが、出荷できない状況ではなかったようでウチも含めて、被害が総じて甚大なものではなかったのが救いです」と、比較的被害が軽かったこと、また大阪市内ではなく、郊外の現場か多かったことで、現場対応に穴をあけずに済んだと、胸をなでおろした。
特に今回の地震で特徴的であった、〈都市型〉の被害を最も象徴するのが交通網の寸断だ。物はあるけど運べない、行きたいところへ行けない、これが混乱をさらに拡大した。国や地方自治体の今後の対応を期待したい。私達の業界も、基本的には自分達ではどうすることもできない分野だが、ネットワークの連携や独自の工夫でできることから考えていきたいものだ。
災害時には、さまざまなことに対して、優先順位をつけることが迫られる。特に従業員と経営者、家族と仕事…などだ。そこで工場長代理というお立場上、従業員と直接接する機会の多い佐藤氏に、当日の、従業員に対する対応を聞いてみた。
「余震を警戒しつつも、約30分後には、従業員の家族の安否確認をしていきました。その中で、家族との連絡がとれず、安否が心配な従業員3名については、会社としてすぐ帰宅許可を出しました。その時、道路状況なども解らず、家族の安否を気遣う従業員に対して『(仕事の都合もあるから)ちょっと待ってくれ』とは言えない状況ではありましたね」。素早い対応だ。そのときは、どのような心境で決断をしたのだろう。
「仮に自分の家が震源地に近くて、家族と連絡が取れないとなったとして、会社から『まだ確認に行くな』と指示されたら、どう思うかですよね。だから僕は、『ちょっと待て』とは言えませんでした」と、佐藤氏。社員の立場、気持ちになって考えたことは、素晴らしい判断だ。またこの時、反省したことがあるとも言う。
「このとき、家族を含めて安否確認したところ、そのなかに『大丈夫ですよ!』と、軽い感じで答えていた従業員がいたんですが、後で聞くと、実は避難所にいたと聞き、大変だったみたいで、会社として再度確認をするような促しが必要だったと反省しています」。なるほど、時間の経過とともに状況が変わったり、本当は大変なのに、気を使わせないように明るくふるまうなどが考えられる。安否確認の際は、より詳しく、また相手の性格などを考えつつ、より慎重に行う必要があるかもしれない。
そんな佐藤氏に対して、大峠氏は、「帰らなければわからないこともありますし、なかなか発生直後に、短時間で全体の安全や安否確認はできないです。あの時、そこまで確認するのは難しかったと思います。でも、基本的には本人や家族のことを考えると、帰してあげるべきです。安否確認のため3名を帰した工場長代理の判断は、間違いではないと思っています」と、ナイスフォロー。さらに「製造の従業員も、家の中がグチャグチャで子供も幼く奥さんも怖がっていたので、昼から帰宅を命じ、翌日も片づけに集中できるよう、会社としては特別休暇を出すなどの災害時の対処を行いました。不安な気持ちで仕事もできないでしょうし」お2人の判断に間違いはない。
今回の地震で大峠氏は、改めて災害について、いろいろと考えなければならないことに気づかされという。
「(大きな地震が)来る可能性が大きい訳で、全社的には対策と意思疎通はできてないといけないと思います。今回の震災で、都市ガスが広範囲で止まりましたよね。でもウチはプロパンガスだったので問題ありませんでした。なので、今後は自治会などでもこうした対応について話していかなければならないと思います。震災で被害を受けられて、ガスも使えずコンビニでの食料もない、風呂にも入れないという状況の中、わが社であればプロパンガスでシャワーも使える。そういうことを活かして、企業として地域への社会貢献も考えていきたいと思っています。例えば…、門のところに“シャワー使えますよ、水がでますよ”といったような張り紙をするなど、あと水や食料などの備蓄問題を含めた内容は、自治会等を通して検討していきたいです。ほかにも、近隣に家屋倒壊などが起こって助けが必要となった場合は、安全確認をして何かできることをしていく。そのような話を従業員と共に、定期的にすすめなければなりません」。つまり防災、減災とは、自社や自社の社員のことはもちろん、それだけではなく、地域社会と一緒になって作っていくもの、という考え方だ。
さらに別の観点からも、対応の細やかさを考えるべきだと指摘する。
「今回の地震で思ったんですが、重要なことは、災害の発生が日中なのか、夜中なのか、朝なのか、いつ起こるのかによって対応が変わってくると思うんです。そのいくつかのパターンで作っていかないと、日中なら仕事で生コンを運んでいるかも知れないから、その時はどう対応すればよいのかなど、ほんとうに細かく、真剣に考えていかなければならない。業種としては、被害が長期に及んだ場合に、ミキサー車などを利用した水の供給を、もっと十分にできるよう考えていかなければと思っています。こういうことは時が経てば忘れてしまう問題なので、具体的にスケジュールを決めて、進めていかなければなりませんね」。通り一遍のマニュアル的な考え方に加えて、これからは時間軸という視点が新たに加わる。
最後に、今後この業界で、どのような対策が必要と思われるかについてうかがった。
「今回の地震では、大阪府内の交通網や電話がマヒして、社内の被災状況を広域協組にも報告しようとしたんですが、なかなか連絡がつかなかったですね。電話については、最初の15分~20分くらいまでは使用できたんですが、それ以降は一切つながりませんでした。こういったところは、(業界として)別に何らかの連絡手段があった方が良いと思いますね」と、佐藤氏は語る。確かに連絡手段の確保は、重要となる要素のひとつだ。
また大峠氏は真剣な表情で、「今回のことがよい教訓になったと思います。大阪市内は交通網も寸断され、生コンを運べないところもあった。今後、交通網や通信のマヒで広域協組の業務や、参事の方が出勤できない状況での対応策や、また防災協定の各地域への拡充や、災害などで大きな被害にあった協組加盟社への支援などを考えるきっかけになったらいいなと思っています」。
これからの災害では、情報弱者が周りから取り残され、機能不全になり、二次災害に巻き込まれることが問題視されている。また、業界内での連携をとる意味でも、新たな連絡手段の確保は、今後、業界として取り組んでいかなくてはならない重要な問題のひとつと言えるかもしれない。
今回の地震では、甚大な被害が比較的少なかったが、ある意味で、被災による気づきを通じて、個人や組織の判断力や危機管理意識が試されたのではないだろうか。社内や社員への対応しかり、地域社会や業界内ネットワークしかり、今後、予想されている南海トラフ地震に向けて、これらの教訓を活かしていかなければならない。被災のショックが冷めやらぬこの時期に、快く取材にご協力いただいた、新大阪生コンクリート(株)のお2人は、この教訓を、今後の防災・減災活動に活かしてくれるに違いない。
新大阪生コンクリート(株)に勤めるAさんは6月18日の朝、出勤後間もなく地震に遭遇。家族の安否確認で長男との連絡がとれないため、会社から車で10分ほどの自宅に帰宅した。Aさんの住居は11階建てで複数の棟が集まった造りのマンションで、築年数は古く棟と棟の間が20~30㎝と狭いため、今回の地震の大きな揺れで棟と棟とが接触しあって多大な被害を被ったという。現場はコンクリートが砕け落ちたり、部屋の内部でも梁や柱に大きな亀裂が入ったり、さらに住民の不安をあおったようだ。
帰宅したAさんは長男の安全を確認。その後、止まったエレベーターに人が閉じ込められているとの情報で住民とエレベーターをこじ開けるも誰も乗って居らず、ひとまず安全確保のため長男を学校に送り届け、奥さんたちを親戚の家に避難させた。その後マンションの別のエレベーター内に、Aさんの娘さんや同級生などが閉じ込められていることが発覚。エレベーター業者の到着も待てないため、住民と協力し合って数時間後に救出。取材当時も、まだ恐怖が冷めやらぬ娘さんは、現在もエレベーターは使わず、マンションの階段を使用している。
また他の従業員の中にも、家族の精神面を気遣いつつ室内の家具や物が散乱し片付けに追われる人や、避難場所で数日を過ごす人たちもいたという。
甚大な被害こそなかったにしても、今回の地震で恐怖を感じた人は大勢いたに違いない。