建物探訪
関西の名建築を訪ねて、モチベーションアップ。
関西の名建築を訪ねて、モチベーションアップ。
2018.08.31
中之島フェスティバルシティの顔ともいえる“中之島フェスティバルタワー”。外壁にはめ込まれたレリーフ「牧神、音楽を楽しむの図」や、建物のコーナー部分に丸みをもたせた外観が、訪れる人をやさしく迎えてくれるフェスティバルタワー。その音響効果から日本の、そして世界の名だたるアーティストに絶賛されるフェスティバルホールを擁する。
中之島とは、大阪市の中心部を流れる淀川の支流、大川(旧淀川)が、堂島川と土佐堀川に分岐する天神橋あたりから、再び合流して安治川と呼ばれるまでの間に位置する東西約3㎞、南北約200mの中洲を指します。
江戸時代初期に開発がはじまると、諸藩の蔵屋敷が建ち並び、堂島米会所や北浜金相場会所が開かれたことから、全国の物資や資金が集散する、活気溢れる土地として発展。水都大阪の政治・経済・文化の中心地として、時代と共に大阪の発展を見守ってきました。
明治に入ると近代的な建築物が建てられるようになります。明治36年(1903年)に日本銀行大阪支店旧館、同37年(1904年)に大阪府立中之島図書館、大正7年(1918年)大阪市中央公会堂などは、遺物ではなく現在も使われており、その重厚な外観は、中之島の景観に歴史と文化を感じさせてくれます。
公会堂、図書館、美術館などが立地する中之島が、文化の中心地と言われるもうひとつの理由は、中之島の南側に位置する旧朝日新聞社と、旧フェスティバルホールの存在を忘れることはできません。
[旧フェスティバルホールは、1958年4月のオープン以来、50年間で4000万人が訪れ、世界の音楽家から称賛されてきました。新しく建てるフェスティバルタワーには、広い水面、深い緑、石造りや煉瓦造りなど各様式建築が混ざり合った中之島の環境と調和させること、そして中之島で育まれてきた朝日新聞社とフェスティバルホールの歴史を受け継ぐデザインが求められました。
建物のコーナーで柔らかに描く円弧と、時間を重ねるにつれて味わいを深めていくベージュ色の煉瓦壁は、朝日ビルと朝日新聞ビルのイメージを継承しています。フェスティバルホールを象徴する、鮮やかに復元されたレリーフ「牧神、音楽を楽しむの図」とホールインテリアのレッドカーペット、シャンデリア、天井と壁の形状などは旧ホールの記憶をつなげるものとしました。]
([ ]内は株式会社日建設計ホームページより引用)
新しいフェスティバルホールは、四ツ橋筋を挟んで東西に相対するツインタワーで構成された中之島フェスティバルシティの顔として、東地区タワー(中之島フェスティバルタワー)に入っています。
そのほか同タワーには新朝日新聞大阪本社、オフィススペース、また西地区タワーには美術館(中之島香雪美術館分館)、ホテル(コンラッド大阪)、オフィススペースなどが入り、地下のフェスティバルプラザ(商業施設)が2つのタワーをつないでいます。
唯一無二と言われる優れた音響効果から、多くの演奏家を魅了するフェスティバルホールは、これからも大阪中之島の重要な文化拠点として、文化芸術を発信し続けてくれるに違いありません。
施設情報 | 所在地 | 大阪市北区中之島2丁目3-18 |
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着工 | 2010年1月9日 | |
建設期間 | 2010年1月 ~ 2012年11月 | |
竣工 | 2012年11月6日 | |
開業 | 2012年11月28日 | |
各種諸元 | 階数 | 地下3階、地上39階 |
敷地面積 | 8,150.09 m2 | |
建築面積 | 5,725.26 m2 | |
延床面積 | 145,602.26 m2 | |
構造形式 | 鉄筋コンクリート構造、鉄骨鉄筋コンクリート構造、鉄骨構造ディング | |
関連企業 |
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デベロッパー | 朝日新聞社(発注者) | |
管理運営 | 朝日ビルディング |